銀河英雄伝説のお気に入り名言(迷言?)集 (5)風雲篇
銀河英雄伝説でのお気に入りの名言と迷言集、今回は第5巻、風雲篇です。
ヨブ・トリューニヒトとは、古典文明の当時から存在した、口先だけの煽動政治家であって、危急の事態に対処する能力など、じつはなかったのではないだろうか
トリューニヒトを政界の希望の星として紹介し、彼を賞賛することによって市民を惹きつけてきた商業ジャーナリズムは、”議長ひとりの責任ではない、全市民の責任と自覚を必要とする”という論法で、最高権力者を免罪し、責任を拡散することによってその所在を不明確にする方法をとった。批判の鋒先はむしろ”政府にたいして協力の姿勢をかき、権利ばかりを主張する”市民にむけられていた
では抗戦するとして、同盟の全領土が焦土と化し、全国民が死滅するまで侵略軍と戦うのか。それとも、講和ないし和平を目的として、なるべく有利な条件がえられるための政治的環境をととのえる――その技術的な手段として武力を選択するのか。そのあたりを確認する必要があると思うが
忠誠心というものは、いわば鏡に映った自己陶酔であるから、”鏡”の役目をはたす主君には、美しい像を映しだしてほしいというのが、宮仕えする人間の願望であろう。
状況が激変するなかで、ひとたび受動的な立場におかれると、人々は自分自身の運命を確定することさえ困難になる。
私にとっては政治権力というやつは下水処理場のようなものさ。なければ社会上、こまる。だが、そこにすみついた者には腐臭がこびりつく。ちかづきたくもない
人類が文明を発達させえたのは、楽をしたいという一心が好結果を生んだのであって、身心の酷使を是とするのは野蛮人でしかない
戦略および戦術の最上なるものは、敵を喜ばせながら罠にかけることだろうね
致死量をこえた毒なら、いくら食べてもおなじ
最善をつくしてもだめなものはだめ、手のとどかない場所のことをいくら心配しても手は伸びぬ、やりたい奴にまかせるのがいちばん
個人が勝算のない戦いを挑むのは趣味の問題だが、部下をひきいる指揮官がそれをやるのは最低の悪徳である。
けっきょく、愛国心とは、ふりあおぐ旗のデザインがたがいにことなることを理由として、殺戮を正当化し、ときには強制する心情であり、多くは理性との共存が不可能である。とくに権力者がそれを個人の武器として使用するとき、その害毒の巨大さは想像を絶する。
国家というサングラスをかけて事象をながめると、視野がせまくなるし遠くも見えなくなる。
つまるところ距離とは、軍事的には、輸送・補給・通信・指揮糸統のすべてを律するものであり、これらの困難度はおおむね距離の増大に正比例する
お前さんは頭もいい、性格もまずりっぱなものだ。だが、そんなものとかかわりなく、火ってやつは燃えあがるものでね
最悪の専制は、破局のあとに最善の民主政治を生むことがあるのに、最悪の民主政治が破局のあとに最善の専制を生んだことは一度もないのは奇妙なことだ、と。
残酷さが彼らの戦う目的ではなかった。だが、正義と信念こそが、この世でもっとも血を好むものであることを、誰もが理解せずにいられなかったであろう。
自分が戦場から遠い安全な場所にいるかぎり、権力者たちは、正義と信念とは人命よりはるかに貴重だと主張しつづけるにちがいない。
専制政治の罪とは、人民が政治の害悪を他人のせいにできるという点につきるのです。その罪の大きさにくらべれば、一〇〇人の名君の善政の功も小さなものです。
私がきらいなのは、自分だけ安全な場所に隠れて戦争を賛美し、愛国心を強調し、他人を戦場にかりたてて後方で安楽な生活を送るような輩です。こういう連中とおなじ旗のもとにいるのは、たえがたい苦痛です
風雲篇も見どころたくさん。ユリアンのフェザーン脱出、ヤンのイゼルローン要塞放棄からのフレデリカへのプロポーズ、やさぐれ危機のユリアンをフォローする出来る男キャゼルヌ。そして後世に残るバーミリオン会戦。ラインハルトとヤンの初会談。最期はあっけない銀河帝国の終焉。そして時代はローエングラム王朝へ続いていきます。